「香水は、レール・デュ・タンだ。でも今日はつけていない。」
映画「羊たちの沈黙」(1991アメリカ)
監禁中の元精神科医レクター(アンソニー・ホプキンス)は、連続殺人事件解決のヒントを得ようと訪ねてきたFBI訓練生のクラリス(ジョディ・フォスター)の使用している香水を指摘します。鉄格子を隔てて離れている状態で、しかも香り立ちから昨日使用したというところまで言い当ててしまうのです。
レクター博士が、知性と品性を持っていることをイメージさせると同時にその異常性を、異常な嗅覚からも感じさせるシーンです。
私たち人間は、数100万の色を識別できると言われています。また50万種類の異なる音を聞き分けられると推定されています。そして、2014年学術雑誌「Science」に掲載された研究によると、人間の嗅覚は、1兆種類ものにおいを嗅ぎ分けられるというのです。
私たちは、嗅覚受容体でにおいの分子を感じ、その情報を細胞内に伝え脳へと伝達されます。その嗅覚受容体とにおい分子の組み合わせ(バーコードのようなもの)の数が、嗅ぎ分けられるにおいの数となるわけです。
人間は、821個の嗅覚受容体遺伝子を持っており、そのうち受容体として機能しているものは396個。においのある分子は40万種類ほどあると言われ、考えられるにおい成分の混合パターンは天文学的な数字になるため、嗅覚受容体とにおい分子の組み合わせは、計り知れず、一説では、嗅ぎ分けられるにおいは1兆種類以上とも言われているのです。
そして、嗅覚受容体の遺伝子に個人差があり、特定の嗅覚受容体遺伝子が機能しなくなっている場合が。そうなると、においの組み合わせのバーコードが変わります。においの感じ方に個人差があるのは、そのためなのです。
また、嗅覚受容体の遺伝的変異により、においに対する感度や、似たにおいを嗅ぎ分ける能力、混合臭の個々を嗅ぎ分ける能力などが優れた”超嗅覚”の持ち主もいるのではないかとも言われています。
レクター博士は、もしかすると”超嗅覚”の持ち主だったのかもしれません。
しかし、香水をつくる調香師やワインのソムリエなど、嗅覚の感度が高いとされている職業の人々にそれが当てはまるとも限りません。においを何らかの文脈で覚えていくことによって脳が鍛えられ、においの情報が伝達されやすくなるような脳神経回路へと変化します。彼らは、日々の訓練によって嗅覚、そして脳が鍛えられ、香りに対して一般人より優れた感度を手に入れているのです。
嗅覚研究に関しては、数値はあくまで理論上ということで、学説が定まっていないということも事実。学説が定まらないということは、においの研究が他の感覚に比べ神秘のベールに包まれていることを示しますが、一方で原始的とされてきた嗅覚が、実はとても複雑な構造であるということも言えます。
「香りという無限の組み合わせを
感じる嗅覚というものは、
動物をそれ自体で喜ばすものである」
万能の天才と言われ、科学や解剖学にも精通していたレオナルド・ダ・ヴィンチの言葉にこんなものがあります。嗅覚の研究が進むよりかなり前の言葉ですが、それくらい私たち人間は、昔から嗅覚を生活を豊かにする手段として使ってきたのでしょう。ただ、もともと人間は、視覚に頼りすぎているため嗅覚の使い方をおろそかにし、その能力を十分に引き出していないと言えます。ちょっとしたことですが、いつもよりじっくり香りを嗅いでみる。いつもとは違う香りにチャレンジしてみる。そうやって少しでも、嗅覚を刺激することによって、より嗅覚の恩恵を受けることができるのでしょうか。
おそらくこちらを読んでくださっているあなたは、人より香りに対しての好奇心が旺盛な方なのでしょう。香りの世界は無限に広がっています。日本人が昔から持つ繊細で鋭敏な感覚を呼び覚まし、どんどん先へ進んでみませんか。選りすぐりの名香たちが、まだまだ未知数の嗅覚の可能性を刺激する手助けをします。
《参考資料》
・「香り」の科学 講談社ブルーバックス 平山令明・著
・香りの百科事典 丸善株式会社 谷田貝光克・編
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